Photographer紹介

若山和子 Kazuko wakayama

若山和子 Kazuko wakayama

経歴

フォトグラファー。青山学院大学仏文科卒業後、映画配給会社日本ヘラルド映画国際部勤務を経て、アメリカ・ボストン美術館付属大学に2年留学、フランス・パリ国立造形大学卒。
18年に渡りフランスに在住し、写真作品をアルル国際写真祭、フランス国立図書館(BNF)、川崎市民ミュージアムほかで発表する一方、カンヌ、ベルリン、ヴェネツィアの3大映画祭にも数多く参加。
カンヌ映画祭では、オフィシャルプレスパスをもつ唯一の日本人フォトグラファーとして活躍中、世界中の映画人のポートレート撮影をする。
2013年に帰国、千駄木にケープルヴィル写真館&カフェhttp://capleville.comをオープンさせる。現在は東京在住。

オダギリジョー、浅野忠信、宮崎あおい、妻夫木聡、瑛太、深津絵里、北野武、坂本龍一、菊池凛子、天海祐希、UA、土屋アンナ、香川照彦、藤竜也、山田洋次、河瀬直美、黒沢清、宮崎駿、ソフィア・コッポラ、ウッディー・アレン、ジュード・ロウ、ウィレム・デフォー、デビッド・リンチ、ジェーン・バーキン、ゴダール、レオス・カラックス、マイケル・ムーア、ジョン・トラボルタ、リュック・ベッソン他多数。
掲載誌:朝日新聞、読売新聞、北海道新聞、CUT、SWITCH、CREA、GQ、ELLE japon, Figaro japon、ぴあ、Frauほか多数。
ACTES SUD社から2008年に写真童話Rêves d'Hinakoを出版、好評を得た。

カメラの道に進んだきっかけ

カメラの道に進んだきっかけ

もともと映画が好きで、大学のときはフランス映画ばかり見ていました。
それが高じて、卒業後に日本ヘラルド映画という、当時はミニシアター系映画のさきがけのような配給会社に入りました。そこはほんとうに素晴らしい会社でした。人生の宝物のような出会いがたくさんありました。国際部に配属され、フランスやほかの国から監督や俳優さんたちが来日するたび、アテンドをするのもわたしの仕事のひとつでした。とくに監督は、ものごとを見る目が鋭くて、同じものを見ていても自分独自の世界に生きているような気がしました。彼らについて東京の街をあちこちいくたびに、なにか創造してみたいという気持ちに駆られ、たまらなくなって、カメラをはじめました。

映画の1シーン1シーン、1コマ1コマが、深い意味に満ちている気がして、試写を見ながら、どうやったら、気持ちを画像にすることができるか、いつも考えていました。カメラだったら、なんとか自分でもなにかすばらしいことを表現できる気がしていました。
土日に専門学校に通い始め、仕事の後には夜の街を歩き回ってストリートミュージシャンたちを撮り始めました。あるとき学校での公開批評のようなものがあり、どうやら自分は写真がとても向いていることが分かって来て、もしかしたらこれを深めたら写真で生きていけるかもしれない、と思うようになったのです。それまで音楽をやっているときには、全くなかった感覚でした。自分にはこれが向いている、という確信をもったのは初めてのことでした。

大学はすでに卒業していたので、日本では入り直せない。これは海外に出るしかない、と思い、とにかくアメリカの美大を受験しました。選んだのはボストン美術館付属の美術大学。デッサンや絵などはいままで一度も描いたこともありませんでした。なにしろ中学高校の部活は音楽系、大学の専攻はフランス文学科だったのですから。それで、会社につとめる傍ら撮影した写真を抱えて面接に行きました。こじんまりとしたレンガの校舎で、なんだか自分に合っているような気がしました。合格通知を受け取ってすぐ、会社に退職願いを出しました。

そこからは、ボストンでただひたすら写真の道を突き進み、2年で4年分の勉強をしようと昼も夜も、春休みも夏休みも全部授業を取って、まっしぐら。そのあと、ヨーロッパの写真が向いているのではないか、とアメリカ人の講師陣に勧められ、3年生でフランスの国立美大に編入しました。アメリカでフランス大使館に掛け合って手続きをしてヴィザを取り、日本に帰国せずにボストンからパリに直接引っ越しました。一学年20人ほどで、編入生でしかも外国人は各学年1人という狭き門でしたが、なんとか、パリに移りました。写真をつきつめたい一心で。パリは芸術を極めるには最高の土地でした。美術館の数もすごいですし、美術展は街中で絶えずやっていますし、なによりもアーティスティックな職業のひとがたくさんいて、映画監督、ミュージシャン、イラストレーター、写真家などが溢れて、自分もアーティストになるのだ、という自覚が生まれました。

ひとそれぞれの「その人となり」を表すような写真を撮ること。

ひとそれぞれの「その人となり」を表すような写真を撮ること。

長年、映画監督や俳優さんを撮影していますが、時間の制約が厳しくて撮影時間が5分、10分ということもあります。どんなに短いとしてもそれは出会いです。だから、撮影時間が短かったとしても、そこから1分削ることになったとしても、まず挨拶をして、お話をするというところから始めます。

そのことによって、相手の方も、与えられた時間をわたしと一緒に過ごすという気持ちを持ってくれますし、わたしから何かしら感じ、それに対して何かを返してくれるのです。
そしてそのひとが持っている空気感や、内側に秘めている力を感じることができます。ああ、このひとはこういうものを大切にしているんだな、というようなことを感じて、それを写真にするのです。

これは、ケープルヴィルにいらっしゃるお客さまに対しても全くおなじです。
1時間という時間のなかで、お子様だったらお子様の気持ちをまず尊重しながら、ご家族を見つめていきます。出来る限り温かい視線で。ご家族の気持ちのやり取りを追いかけて、そのご家族だけのストーリーを写真で丁寧に紡いでいきます。同じ1時間でも、その過ごし方も、テンポも、空気の作り方もみなさんそれぞれご家族によって異なります。それぞれのご家族らしさ、というものを感じて、形にすることを大切にしながら撮影します。

そうして私とそのご家族の出会いがあってこそ撮れる、とてもパーソナルな作品集が出来上がります。データもお渡ししてはいますが、一枚一枚の写真をばらばらにデータとしてみるより、一冊の写真集として仕上がったときに写真一枚一枚が強弱を奏でてくれるので、ほんとうにそのストーリー性が見えてきます。

一番の喜びは?

一番の喜びは?

大きな意味でのケープルヴィルのファミリーのような輪が出来上がっていくことが一番の喜び。
撮影したお子さんがまたいらしてくださって、「しゃしん、しゃしん!」といってスタジオに行くのをとても楽しみにしているご様子が分かったり、何回も撮影にいらしてくれるお子さんが、少しずつ大きくなっていくこと。撮影ではなくてもカフェにちょこちょこと遊びに来てくださるご家族。ケープルヴィルでは音楽イベントも定例でありまして、そこに毎回聴きに来てくださる親子の方。それからケープルヴィルで開催しているアート教室に通っている子供たち。
大人も、こどもも、おじいちゃん、おばあちゃんもケープルヴィルの屋根の下に集まって大きな輪ができていく姿を見るとき、この上ない幸せを感じますね。

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Portfolio

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所属フォトグラファー

川口ミシェル(フォトグラファー・アシスタント)

2006年に一眼レフを購入したことをきっかけに、2012年から写真展で作品を発表する。2016年より記念写真や肖像写真撮影を個人でも請け負い、2018年6月よりケープルヴィル写真館に所属。
ふり返って、その時をいつまでも語れる写真を残していきたいという思いから、撮影に向き合っている。

Portfolio

https://www.capleville.jp/photo-studio/category/cat419/

コラボレーション・フォトグラファー

川島一郎

広告・ファッションカメラマンとして25年。写真を通じて伝えることを生業にしてきました。この度ケープルヴィルさんの場を借りて自分らしい撮影ができればと思います。私が得意なのはそれぞれの中に備わる本質的な魅力を見つけること。お料理に例えるとお塩で食べてください的な感じかと思います。
多分、撮った写真の中に憧れていた自分、知らなかった自分、懐かしい自分に出会って頂けるかと思います。

経歴

1967年生まれ 出身地 大阪
大阪芸術大学写真学科卒
camp合同会社 代表

これまでのクライアント

ANA、アサヒ、アフラック、イトーヨカドー、オリックス生命、カネボウ、キリン トヨタ、資生堂、Right-on、nicole等

Portfolio

https://www.camp-llc.jp